一方、2024年の1月下旬からオフ・ブロードウェイでの初演を実現した新作ミュージカル『ホワイト・ローズ』は、第二次世界大戦の末期に反ユダヤ主義と戦ったドイツ人たちを描いた作品で、今の中東情勢の影響を受ける世情とリンクする。
物語は、これまでにも映画や芝居の題材となってきた、ドイツのミュンヘン大学の学生5人と教授1人が「白いバラ」と名乗る団体を立ち上げ、反ユダヤ主義への対抗運動を展開した事実を描いたもの。
「白いバラ」を秘密裏に結成したメンバーは、1942年からナチス・ドイツの方針に反対する6枚のビラを次々とバラまくが、1943年に逮捕され裁判の末に断頭台の露と消えた。
ミュージカルでは、団体を纏めた女子大生ゾフィー・ショルと、彼女の兄ハンス・ショルが逮捕のきっかけとなる最後のビラをまく直前から始まり、兄妹が想起する形でフラッシュバックし丁寧に伝えられていく。そして医大生だった兄ハンス・ショルが前線で衛生兵として従事し、ユダヤ人たちが強いられている悲惨な光景を目の当たりにしたことから、「白いバラ」の結成を決意、対抗運動を展開していくのだ。
スターが出演しているわけではなく、著名な作詞・作曲家などの制作陣によるミュージカルでもないことから、当初は期待されていなかったのが事実。
ところが、ローカルTV局のNY1が毎週放送しているニューヨーク演劇情報番組の人気ホストが、“推奨作品”としてリハーサル風景とともに紹介したところ、瞬く間に注目を集めることとなる。そして、タイムリーな作品として人気を博すようになったのだった。
1966年に初演された名作ミュージカル『キャバレー』も、この春にブロードウェイで久々にリバイバル上演され話題となっている。
ナチス・ドイツが勢力を強める第二次世界大戦前夜のベルリンを舞台に、ナイトクラブの歌姫と作家の男性との恋を描き、その中で危機感を募らせるユダヤ人たちにも触れられている物語はこれまで通り。ところが今回は、劇中に登場するユダヤ人と、今の世界情勢とを比べる人々が続出し、観客の反応が重みを増したものとなっている。
『ハリー・ポッター』のスピンオフ作品となる映画『ファンタスティック・ビースト』シリーズで人気の男優エディ・レッドメインの主演が実現したのも目玉となるリバイバル上演。
制作費が2千400万ドル、日本円に換算して36億円がつぎ込まれただけにチケットの価格も高額に設定されたが、それでも飛ぶように売れていく。日本も含め世界で上演される機会の多い不朽の名作ミュージカルが、社会に一石を投じる可能性は高い。
ニューヨーク演劇界では、イスラエルとハマスの話題がニュースなどの報道の枠組みを超え、身近なこととして取り上げられていく。しかし、こうした動きが必ずしもポジティブに捉えられているというわけではない現実も2月に入ると明るみに出た。
昨年の11月15日、NYタイムズ紙が一面記事でエルサレムにある地元のYMCAのプールで、週6日間にわたって行われていた、イスラエル人とパレスチナ人の十代の若者たちが参加する水泳教室について特集する。友好的な関係を保っていた、水泳教室に通う両者の若者たちが、いかに10月7日の衝突をきっかけに引き裂かれたかを伝える内容の特集記事だ。
そして、この特集に感銘を受けた大物演劇プロデューサーが指揮を執り、記事に着想を得たミュージカルを制作、2月上旬にそのコンサート版を無料で上演する計画を立てた。ところが、上演直前になって、全公演がキャンセルの憂き目にあってしまう。メディアでは報じられてはいないが、その理由はプロデューサーに対しての恐喝があり、上演には時期尚早と判断されたからだという。
テロ予告といったこうした類の恐喝は、実際にはユダヤ系の人々を描いた多くの作品や、イディッシュ語でユダヤ人についての舞台を館内で上演するユダヤ人遺産博物館に対しても行われている模様。そしてどのケースでも、大事にしないために恐喝の事実を、メディアを通して公にするのを避けている節がある。
ニューヨークの地下鉄では、イスラエルとハマスとの争いが始まってから、アジア人に対するヘイトクライムが半減し、逆にイスラム教徒やユダヤ人をターゲットにした犯罪が急増したというデータが明らかになって久しい。
この街では、演劇を通して中東情勢に端を発する複雑な感情に思いを馳せる機会がこれからも増えることとなりそうだ。