寄稿/影山雄成
19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの大女優サラ・ベルナールは、「演劇とは民衆の考えの無意識的な反映だ」という名言を残している。
この1年間、ニューヨークを中心とするアメリカ演劇界においては、まさに彼女の言葉通りのことが起こった。
人々が無意識のうちに関心を寄せたのはアメリカ大統領選挙。11月に迫った選挙の動向が演劇界に大きな影響を与えていったのだ。
ニューヨーク市内にある客席数300の名門劇場で、2022年に初演されたミュージカル『サフス』を観劇して感銘を受けたのは、あのヒラリー・クリントン。
タイトルのサフス(SUFFS)とは、婦人参政権論者を意味する“SUFFRAGETTE”を略した造語で、同ミュージカルは1920年にアメリカ合衆国憲法修正第19条が成立し、白人女性の選挙権が認められるまでの史実を紐解いていく。
女性の参政権を取り上げたミュージカルはこれまでにもあったが、同作品では出演者全員が女性だということが他とは一線を画し、大統領などの男性の役柄も彼女たちが演じる。
女性初となった大統領候補者のヒラリー・クリントンが惚れたのも当然の成り行きで、彼女がプロデューサーとして名乗りをあげての後押しにより、同作品は今年の3月にブロードウェイに昇格し大劇場で上演される運びとなった。
ノーベル平和賞の受賞者でフェミニストのマララ・ユスフザイもプロデューサーとして賛同、大物の女性の存在感が際立つ珍しい企画となったのだ。
さらに上演が開始された翌月の4月には、チケットを高額設定の$500~$5000で販売する貸切公演を行い、バイデン大統領のための選挙資金を集めるイベントを開催。ヒラリー・クリントンも観客に向けてスピーチをし、政治色の濃さを覗かせた。
そして7月には、同作品が演劇界という枠組みを超えての話題として取り上げられる出来事が起こる。
それは、バイデン大統領が大統領選挙からの撤退を発表し、後継者としてハリス副大統領を支持する意向を表明して間もなく行われた、マチネでの出来事。開演し舞台の緞帳が上がると、観客が突如として一斉にハリス副大統領のファーストネームの“カマラ”を連呼し始める。この女性初の大統領誕生の可能性に沸いた観客の“カマラ”コールについてメディアが挙って報じたのは言うまでもない。
Watch: Broadway's Suffs Becomes an Impromptu Kamala Harris RallyNews of a recent shakeup on the Democratic presidential ticket hit moments befor...ブロードウェイの『サフス』がカマラ・ハリスの即興集会に
PLAYBILLより
2024.07.22
結果としてミュージカル『サフス』は、アメリカ国政においてのトランプ前大統領の再選を望まない民主党の支持者が多い芸術界の意見を代弁する作品として認識されるようになっていったのだ。
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アメリカ大統領選挙を見据えて注目された作品
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