そして今年の夏には、一切広告を打つことがなかったにもかかわらず、ニューヨークにある小劇場での全公演の前売り券が即完売し、チケットが転売され高額で取引される怪物のようなミュージカルが登場した。
新時代のミュージカルと絶賛される『ビー・モア・チル』で描かれるのは、引きこもりがちで女性にもてないアメリカの高校生の青年を主人公にした青春物語。
青年が、開発されたばかりの架空の未知の新薬を試すと、錠剤のカプセルに内蔵された超小型スーパーコンピューターが体内に入り込み脳を刺激、物事の判断を良い方向へと導けるようになるというSF要素のあるストーリーだ。
これにより突如“イケてる青年”になった主人公は、ガールフレンドを手に入れることに成功、学校の人気者にもなる。ところがその代償として、親友を失っていくなど空回りが発生、さまざまなトラブルと向き合う彼の葛藤が綴られていく。
このミュージカルがニュージャージー州にある地方劇場で初演されたのは2015年。
大きな話題になることのない期間限定の公演だったが、初演の記念としてキャスト盤の録音が残される。
そして、その楽曲がネットにアップされると、そのうちの一曲がネットユーザーの若年層から注目を集めるようになる。
それは劇中、準主役の青年が、薬の力で人気者になった親友である主人公から相手にされなくなり、そのやるせなさをトイレに一人こもってぶちまけるという設定で歌われるソロ。
曲のタイトルは「Michael In The Bathroom(トイレの中のマイケル)」で、作品のテーマ曲ではないが、思春期の悩みや不安、そして感じるプレッシャーなどを代弁している歌として若者を魅了したのだ。
その熱は同ミュージカルの他の楽曲にも飛び火しファンが急増、音楽ヒットチャートのビルボードでトップ10入りを果たしたのだった。
さらに2017年には作品が上演されていないにもかかわらず、アメリカで人気のSNS/ブログのTumbler(タンブラー)で年間を通して2番目に話題に上った回数が多いミュージカル作品となる。ちなみに、話題になった回数が一番多いミュージカルは『ハミルトン』、3番目に多かったのが『ディア・エヴァン・ハンセン』だったのだとか。
これを受け、この夏にニューヨークの小劇場で行われた公演だったが、当然のようにチケット入手は困難を極める。作品の物語や音楽を知り尽くした若者たちが300席の劇場を連日埋め尽くした。
作品を共に育んできたという自負を持つ彼らにとって、ステージに立つ出演者はアイドルという憧れを超えた自分の分身。
公演を延長しても収まらない観客の熱狂ぶりから、2019年に1000席のブロードウェイの大劇場への引っ越しが決まった。
一連のブームをけん引するのは1990年代半ばから2010年までに生まれた“ジェネレーションZ”と総称される世代。
デジタル・ネイティブとも呼ばれ、当然のようにインターネットとともに成長してきた。
例えば1995年生まれの場合は現在23歳で、社会人として収入を得てキャリアを積み始める頃。これからの経済を支えることになるジェネレーションなのだ。そんな若者たちが次のブロードウェイの顧客となり発展を担うとされるのが今のアメリカ演劇界。
2人に1人がインターネットでチケットを購入するブロードウェイ。
一方、日本の演劇界でインターネットを使ってチケットを入手する観客はさらに多く、全体の7割を超える勢いだという調査結果もある。
こうした事実を踏まえると日本でもジェネレーションZのネット住民が育む舞台作品が近い将来に生まれるのかもしれない。