ブロードウェイ再開当日となる公演初日、開場前から上演劇場の前にプラカードを持って待ち構えていたのは、ワクチン接種反対派のデモ隊。
黒のプラカードには白抜きの文字に赤字が加わり、「ブルース・スプリングスティーンはブロードウェイを分断させる」や「権利の平等を求める」、また「危険なワクチンは死をもたらす」などとある。
ワクチン接種が原因で死亡したとされる人物の顔写真が大きく印刷されたプラカードも掲げられ、デモ隊はバリケードを挟んでニューヨーク市警と睨み合い緊張が走った。
しかしそれもつかの間、観客が徐々に到着すると、辺りは久々に劇場に足を運んだ彼らの歓喜で溢れかえり、デモ隊の張り上げる声をかき消していく。
劇場の中でも観客の興奮は冷めやらず、マスク着用が義務付けられていないこともあり、ロビーなどではパンデミック前と変わらない光景が広がった。
開演し、ロックのカリスマがギターを片手に颯爽とステージに登場すると、観客が一斉にその名を叫び会場は熱気に包まれる。
彼が言葉を発するたびに歓声が沸き、ステージが一向に進行しない。持ち味の嗄れ声で「いちいち声を上げて反応するのは勘弁してくれ」と面映ゆい表情で観客を冗談交じりに制し、響きわたるファンの叫び声を笑い声にかえるまで熱狂はピークに達したままだった。
「マスクなしの人がひとつの空間の中で隣同士に座っている光景を見ることができて嬉しい」は、やっと落ち着きを取り戻した観客に向けてブルース・スプリングスティーンが最初に発した言葉だ。
舞台の内容は、彼が2016年に出版した自伝を下敷きとして、自らの幼少期の想い出やミュージシャンとしての歩みをたどりながら、約20曲を披露していくというもの。2017年の初演時のセットリストから3曲を変更、大ヒット曲「ボーン・トゥ・ラン」をあえてパンデミック中に発表したアルバムからの新曲に置きかえるなどの調整を加えての最新版だ。
休憩なしの2時間20分のステージ進行の全権を一人で握る彼は、まずはパンデミックの期間を振り返っていく。ブルーカラーや若者の代弁者として崇められる彼が、「この地球に71年間生きてきた中で経験したことのない事態だった」と目を細め遠くを眺める。
公にはコメントを控えていた昨年末の飲酒運転での逮捕についても触れ、それに関わる行政の公的な裁判の名称が「合衆国 対 ブルース・スプリングスティーン」と大げさなものだったというエピソードを紹介して笑いを誘いながら1年間を振り返っていく。
地元ニュージャージー州でファンと杯を酌み交わし、テキーラ2杯を飲んだことが原因で飲酒運転により逮捕されたことを包み隠さず語る。
その裁判が、映像会議目的などで活躍するZoomを使ってインターネット上で行われたことなどが冗談交じりに明かされていくのは、この上ないファンへのサービス。
“飲酒”や“Zoom”といったパンデミック中の巣ごもりにより増加傾向が顕著になった事柄を自身の実例として並べ、観客の興味を惹きつけていくのだ。
さらには、社会で多くの問題が発生したことにより混乱を招き人々が暴徒化したのだと持論を展開。
年明けのアメリカ議会議事堂襲撃事件から始まり、劇場の前を占拠したワクチン接種反対のデモ隊のことも示唆し、人々は恐怖に苛まれ困惑しているだけなのだと、“ボス”の愛称を持つ親分肌らしい寛大さで理解を示していく。
自身の生い立ちを紐解く後半では感極まり言葉がつまり、情け深い人柄を覗かせながら、過去への想い出と共存して未来に向かって歩んでいくことの重要性を諭す。
ブロードウェイを長い眠りから目覚めさせたカリスマの公演にメディアは無条件で大絶賛。
ブロードウェイが再開した日、観客に配布された劇場街定番の無料プログラム「プレイビル」は、従来の厚さとは違い20ページしかない薄い冊子だった。
出演者やスタッフの紹介欄はわずかで、街が再稼働して間もなく広告も至って少ない。そんな中、1ページを割いて掲載されたのは観客へのメッセージだった。
「2020年3月13日は予期せぬ日だった」とそのメッセージは始まる。
スペイン風邪、2回の世界大戦、大恐慌、また同時多発テロの際でも刷り続けてきたプログラムの発行が、137年の歴史の中で初めて中断された日だったのだと。
新型コロナウイルスによるパンデミックの長い月日は、多くの要素が交わることにより劇場の魔法が初めて成立するという事実を浮き彫りにしたと強調する。
その上で、ブロードウェイの幕が開く準備が整い、最後に必要な大切な要素が観客である“あなた”なのだと説く。
そしてメッセージを締めくくるのは、「お帰りなさい」の一言。
この温もりに満ちたプログラムが配られ、ブロードウェイが復活を遂げたのを合図にしたかのように、街では3000万ドルをかけた観光業を復興させるための一大企画が始まる。
“It’s Time for New York City(ニューヨーク・シティの出番)”をキャッチフレーズに始まったキャンペーンとともに街が再生に向けて大きく舵を切った。