父・黒木肇の手記1

父・黒木肇(はじめ)の手記1

※現代仮名遣いに改め、読みやすく編集しました

昭和20年5月11日午前6時、鹿児島県川邊郡(かわなべぐん)知覧陸軍航空基地より、長男黒木國雄、特攻隊長となり、振武隊(しんぶたい)第55期として沖縄戦闘に参加する。

隊長 黒木國雄 少尉
陸軍士官学校第57期生
大正13年1月20日生 満21歳

國雄、日本男児、21歳の生命(いのち)なりしか。
強く生きよ、伸びよと育てし。そのかいありし、特攻隊長となりし國雄。
幼少より軍人志望。延中(えんちゅう)より幼年校受験。身体、胸部細きため入校できず。
5年生となり昭和16年2月11日、陸軍教育総官部より、「リクシニサイヨウス 四ガツ二三ヒ チヤクコウスベシ」の官電(かんでん)あり。國雄の感激、一家一門の栄誉なりき。
既にこの時より、御国(みくに)に捧げし身、御盾(みたて)となりし國雄。悠久の大義に特攻隊長となり沖縄沖、大型空母に突入、散華(さんげ)せし。
國雄、武人の本懐を達し、軍人の本分を尽くせし國雄と共、われら一同なんら悔ゆる事なし。わが子ながらよくぞ、でかしたりとぞ思う。

昭和16年4月20日、陸軍士官学校入校に國雄と上京したり。
延岡駅頭(えきとう)にて盛大なる万歳に見送られしが最初で最後の歓送となりぬ。
東京駅着。二重橋前に至り、2人して皇居を遙拝(ようはい)す。無事入校のでき得ますよう、陛下の股肱(ここう)たり得るよう、祈願したり。
幸いにも身体検査に合格したり。われらの光栄、一家一門の誉(ほまれ)。この上の極まりなし。
國雄の入校初の軍服姿を見、安心して意気揚々として帰国したり。

神仏のおかげにや、無事、予科も卒業し、本科に進級の時、陸上の華、機甲隊となり、士官候補生として満州公主嶺(こうしゅれい)隊付(づき)となる。
その後2カ月して神奈川座間本校に入校し、19年4月、無事本科を卒業と同時、航空科に転じ、航空士官学校入校。9月、同校卒業。明野(あけの)飛行部隊付(づき)となる。

19年7月、任官の光栄に浴し、明野転校の際、任官最初の最後の休暇にて帰省したり。
祖母、念願の國雄、長剣(ちょうけん)を下げて帰るまでは、あの世には旅出ぬと。幸いにして國雄の任官せし、晴れ姿を見られ喜ばれること限りなし。
これにて、われわれも本望を遂げ、わが家の春なりき。

組より、国旗立て、門出の祝い下さるとのことなりしも、國雄より「戦場に征く際は、また帰省するも、われら士官校出は、軍人が本分なり」と辞退せしため、組内の人々にお願いせざりしが、今になりての心残りなり。
そのまま戦場に征く覚悟なりしに、せめて門出の出陣に旗立て、恩師・知友・親戚・組内の方々に祝いの御酒などの祝いを準備もできありしにと、今に思い出される親心なり。

延岡駅頭に見送りし際「父ちゃん、僕はこのまま戦場に向かうかも分らぬ」と。
その覚悟の帰省なりしか。
さらば今度の帰省、別離の帰省でありしか。
出発の際 祖母様に急に願いし記念の撮影。祖母も嬉しとして最愛の國雄と痛める足を引きながらの撮影。これが永久の別離になろうとは。
祖母は本年、昭和20年3月6日、仏となられ、命の終るまで一途に國雄の事、話されしに。

「父ちゃん、このまま戦場に行くと」
その時、今度の帰省、せめて世間一般の門祝(かどいわい)のしてやりたかったのに、見送りがしたかった、してやったらと思い、瞬間、呼吸を飲み「うん、よかろう。勇敢に征きね」と返事をした事だった。
家を出る時、祖母に「体に注意して下さい」と一際(ひときわ)懇(ねんご)ろの敬礼をしたのだった。

汽車の進行につれ、体を車窓より乗り出し、手を振り、母一同に見ゆるまでの別離。ああ、わが母一同、皆様の別離になろうとは。
國雄、最後の帰省。覚悟の別離なりしなり。

今回の特攻隊となり事の重大の戦局に感じ居り、毎日、國雄に1通の通信。激励するが日課なりしに、また國雄よりも週1回の文通あり。
義雄の初等科入学、民雄の進級に祝いとして金100円也の祝学費を4月6日送りしが、明野より最後の便よりして無く、当方よりの通信、毎日のごとく、明野飛行部隊より本人当校不在として返却あり。
いよいよ特攻隊員となり猛訓練の開始せられし事ならんと、國雄より音信なきままに私密(ひそか)に思い居りたり。

果して東京向島より、「國雄、久々に訪問し、調布に居る」との便りあり。「面会せしに、将校の方々より『隊長、隊長』と慕われおれり」との通信。
同時、延中(えんちゅう)よりの親友たり陸士同期生たる今村敏夫少尉より、國雄、特攻隊長となり、明野より調布に転隊したとの便りあり。いよいよ時機の到来せし事、沖縄本島の戦局により期しありたり。
この間、低空旋回の戦闘機あり。
時たま、わが家の上空、1周2周の飛行機ありては、國雄、空中より別離の飛行にあらざりしかと再三、戸外に出で、日の丸の旗 手にせし事もたびたびありしに。

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書いた人:坂本光三郎

坂本光三郎

宮崎県延岡市出身・在住。1983年、早稲田大学を卒業し、延岡市の夕刊デイリー新聞社に入社。編集部記者として、文化・歴史・福祉を担当。小・中学校の平和学習講師も務めている。現在、夕刊デイリー新聞社取締役(編集担当)。FMのべおか局長。

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