五ヶ瀬川に避難
(延岡大空襲の日)昭和20年6月29日
深夜、焼夷弾が落ちはじめると、各家庭ごと五ヶ瀬川の流れをめざして逃げ出した。
五ヶ瀬川の流れの中で
昭和20年6月29日
布団をかぶって、父と姉と3人で川の流れの中に数時間。まわりは油の塊が燃えながら流れていく。母と、母におんぶされている妹は途中ではぐれたが、朝になって合流できた。
アスファルト(道路)のぬかるみ
昭和20年6月29日
焼け落ちたわが家を見るために、川から上がって道路に出たとたん、アスファルトの道路は熱で溶けて、裸足の足が歩くごとに、グニュッと食い込んだ。
防空壕に逃げ込んだら、近くに爆弾が落ちて
祇園町の親戚の家で暮らしていた時、空襲警報になり、祇園町通りに面した所にあった防空壕に避難した。その途端、100メートル離れた本多屋旅館に爆弾が落ち、壁は落ち、ものすごい土煙を浴びた。恐怖の一瞬であった。
機銃掃射
昭和20年
焼け出されて大武町に避難していた。白昼のんびり畑で遊んでいたら、いきなり轟音をたてて飛んできた米機から機銃掃射を受け、畑に掘ってあった〝たこつぼ〟に飛び込んだ。米兵の顔も見えるくらいの低空飛行であった。
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・空襲警報のサイレン
・玄米をつく母
・終戦の日に引っ越し
・焼け落ちた我が家の前で
・終戦直後、蚤・しらみ大量発生
・駐留兵に追いかけられた姉
・空襲警報のサイレン
・玄米をつく母
・終戦の日に引っ越し
・焼け落ちた我が家の前で
・終戦直後、蚤・しらみ大量発生
・駐留兵に追いかけられた姉