昭和20(1945)年5月11日早朝、黒木國雄は2度目の出撃をする。前夜から息子と共に過ごした父・肇(はじめ)は、この時の様子を詳細に書き記している。
別れの朝
午前3時半、黒木國雄をはじめ特攻隊員は目を覚ました。
朝食を済ませ、まだ暗い松林を進み飛行場に向かった。ゆっくりと空が白み始めていた。
國雄の愛機である三式戦闘機・飛燕(ひえん)の尾翼には「必沈必勝」の文字がある。
國雄の愛機・飛燕(ひえん)三式 特攻機の優秀機なりと。尾翼に「必沈必勝」の記号は、隊長殿より東京に行く際書かれし筆跡なりと。名誉の事なり。
この機にて國雄突入出撃する事かと、その初めて見る爆装の戦闘機を見、この入魂機を見、頭の下がる思いなり。どうか無事任務達成、敵艦に突入さして下さるよう、神社に参拝せしが如く、正面より両横、尾翼方より伏し拝み、どうか敵艦に突入するまでは守らせたまえかしと祈願したり。
午前5時、國雄が隊員達に集合の命令を出した。
「いよいよ決行する。最後に何も言うことはない。みんな元気で行こう」
黒木隊の全員は東の空に向かって皇居遙拝(ようはい)の最敬礼。あけぼのの雲間から光が差してきた。
悠久の大義に殉ず。皇国の礎石(いしずえ)となり、御楯となる軍人の本分尽くし、ここ3時間に敵艦上に突入、玉と散華する。
特攻隊となり、軍人の死所(しにどころ)を得、満足の極みの如し。黒木隊全員、少尉、その武者ぶり、英姿颯爽(えいしさっそう)たり。この時ほど、男の子(おのこ)の、わが子でなし、天皇陛下の子なりと、秘々と特に感じたり。隊長を中心に円を作り、特攻隊出陣の歌を高らかに歌えり。なんたる悠々たる勇姿か。これが、若年21歳より24歳までの若桜なり。
その気魄に押され、感無量。胸一杯となり、これが親子最後の永別(わか)れになるのに涙なし。ただ感謝感激、自分も特攻隊となりし心地す。
出発
「出発」
國雄の号令で、隊員は特攻機に走った。
始動開始の旗が振られると共に特攻機が爆音を響かせる。その中、國雄が肇(はじめ)のそばに来た。
「父ちゃん、國雄の晴れ姿見て嬉しいじゃろ」
「おお、嬉しい、喜ばしい。母ちゃん皆(みんな)にもいいお土産ができた。しっかり頼むよ」
「征きます」
これが最後の言葉。この時が最後の敬礼となりぬ。
隊員全部、機乗。神様の姿となられる。なんたる神々(こうごう)しさか。ただただ神々に見えて、伏し拝みたり。
白赤旗の合図に、発進の位置に出発す。整備兵はじめ見送り、一同、帽(ぼう)を振り、手を振り見送りす。
特攻隊長とその父5 へ赤旗の振られ、発進は開始さる。
國雄、第1突撃隊長、第1番の発進なり。
その勇ましさ、わが子ながら限り無し。戦闘機に爆装せし重量にか、黒い土煙(つちけむり)吹き上げ1キロ程も滑走するも離陸せず。
この分にて良いか、あのままに望(はる)かに見ゆる山に激突することかと心配す。横手少尉より「大丈夫、黒木の腕に自信あり」と。
果たして浮いたり。あ離陸ができたり。続く2番機、隊長の離陸に元気づき、これまた猛烈の発進す。
続く3番機、4番、5番機と続々、幾篠(いくすじ)の黒い土煙打ち上げ発進す。
黒木隊全機の発進終わり、大いに安心したり。上空いかにと見るに、國雄機、遥か遠く一粒の点。
離れ居るに、もしや故障でなきかと心配するも、つかの間、隊員の離陸を見届けしか、上空半周中の編隊の最先頭」に大きく猛烈なる速度にて着くす。
司令官閣下の上空にて最後の翼振り振り、南方差して飛び去ったり。
横手少尉「うまい、さすが黒木なり。あの編隊の組み様、第一番、申し分なし。東京帰隊、隊長の報告に土産できたり」と聞き、自分また嬉し。
上空、遠々、点々と見ゆ特攻機に、また伏し拝み、戦場まで無事着、全機突入のできまするよう、神々に祈願合掌したり。ああ涙なし、無言。
万歳あるのみなり。横手少尉と戦闘指揮所の無電室に至り、
午前8時42分、第1突撃隊、突撃開始。我突入の無電を聞く。これ最後なり。
昭和20年5月11日午前8時42分なり。